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(最大の修道院・トマール)
Portugal Photo Gallery --- Tomar
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☆トマールの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンから、列車・バスで1時間ほどの距離にあるトマールの町。
町の見どころはなんといってもキリスト修道院である。
キリスト修道院は12世紀にテンプル騎士団によって創建された。
マヌエル様式の傑作であり、1983年には、ユネスコの世界遺産に登録された。
4年に1度、7月に華やかなタブレイロ祭りが行われる。
「ポー君の旅日記」 ☆ 最大の修道院・トマール ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 《昨夜は横地さんの「Novo Bonsai」日本料理店でカツ丼をご馳走になり、久 しぶりに日本の味を堪能させてもらったせいか、気持ちが晴れ晴れであった。 トロリとろけた卵とじと味を含んだ玉ねぎが、揚げたてカツにふんわりからみ つき、見た目も味も旨かった》 ポルトガルに来てから13日目が過ぎていた2004年4月28日(水)の首都リスボンの朝。
今日も濃い藍色の空が迎えてくれた。少しばかりの疲れも昨夜のカツ丼で吹っ飛んでいた。 「けいの豆日記ノート」 オリエンテ駅はバス・地下鉄・列車、それにショッピングセンターを有した総合駅舎であった。
ここは、1998年に開催されたリスボン万博会場跡が国際公園になっていて、
その前にヴィスコ・ダ・ガマショッピングセンターと駅舎が連なる近代的な巨大空間だった。
〔トマール〕行きのキップ売り場が何処にあるのか余りの広さに探し喘ぐ。
こんな時は聞くに限ると、本を小脇に抱えた栗髪の揺れが魅力的な20歳代の女
性に相棒が聞く。頷き微笑み、彼女は「Japonesa?」と小声で聞いた。 「けいの豆日記ノート」 10時31分発、終点トマール駅行き各駅停車の列車がホームに滑り込む。 「けいの豆日記ノート」 曇り空のトマール駅に着いた。殺風景な田舎駅だった。
下車したのは5人いただろうか。寒かった。相棒は重ね着した。
駅舎を出ると、商店街があるわけでもなく広っぱの先に街並みが見えた。
相棒はガイド本でトリズモ(観光案内所)の位地を確認。 更に北へ200mほど歩いていくと左ななめ前方の丘の上に大きな建物が浮かぶ。
1983年に世界遺産に登録されている〈キリスト修道院〉だった。
そこが目的でトマールに来た。
まずは、予約してあるホテルで荷を解いてからだ。
市庁舎にぶつかった。
その前に100m以上の広々とした広場が人影もなく静寂に広がっていた。
町の中心地、レプブリカ広場だった。 扉を押して、中に入ると目の前に20段ほどの絨毯の階段があり、昇った先にフロントがあった。 眼鏡を鼻に引っかけた男性がいた。宿の主人であった。 相棒が『日本から来た・・・』と言う声を聞くと、主人の瞳が開いた。 名古屋からの予約FAXの日本人が予定通り来たのが不思議だという顔をして迎えてくれ、顔に笑みが浮かび上がった。 即、鍵束を持ち部屋に案内してくれた。 間口は狭いホテルであったが奥行きは広かった。 部屋数は28部屋数もある宿であったが宿泊する人々の匂いがしないとポーは察した。 がらがらだった。案内された部屋はメインストリートから離れた奥まったところにあった。 広い部屋だったが、相棒が拒否。 窓を開けたらメインストリートが見える部屋を希望した。 静けさより生活の音を相棒は選んだ。 窓を開ければ目の前からその町の〈今〉の音や薫り飛び込んでくる。 そんな部屋が相棒は好きだった。 今まで泊まってきた宿の窓から飛び込んでくる町の音や薫りを相棒は堪能して来た。 町にはそれぞれの〈音や薫り〉があり、旅の私心に喰いこむ喜びをくれた。 「けいの豆日記ノート」 《トマールには、鳩の乱舞の羽音と清流からの歓喜の若々しい薫りがあった》
再び宿からレプブリカ広場に行った。閑散としていた広場が別次元になっていた。
何処にいたのか知れぬ鳩が乱舞していたのだ。
それも、羽音が一箇所に向かって鳴り渦巻いていた。
初めて見るものすごい数の舞い狂う光景であった。
まるで映画のワンシーンだとポーは思った。 「けいの豆日記ノート」 市庁舎の裏から石畳を登って丘の上の〈キリスト修道院〉に向かった。 小さな赤い花が延々と咲き乱れている坂道を800mほど撮影をしながら歩いた。 車が走れない急坂の狭い道には歩く人は、いなかった。 この季節は世界遺産を見に来る人はいないのだろうかと思った。 汗をかいた。広い駐車場に出た。愕然とした。 観光バスが5台、自動車が20台ほど止まっていたのだ。 この町に来る観光客は街の中には入らず町の北側の自動車道から直接〈キリ スト修道院〉に入り込み、見学すると次の観光地に行ってしまうようだ。 だから街の中は閑散としていたのだ。 泊まらなくてもいい。 せめて街の中を散策する、ほんの1時間を旅行者に与えて欲しい。 でないと、町にお金が落ちない。 優雅な旅行者もいいけれど切り詰めた貧乏な旅人もいいもんだと、声を張り上げて言いたかった。 〈天使〉にも会えるし〈宇宙人〉にだって会える。 来たばかりの町に肩入れする自分がいた。 思わず苦笑し相棒を見た。 眼下に広がる美しいトマールの町を撮影中だった。 駐車場は町を見下ろす展望台にもなっていた。 緑の多い町であり、川が町なかを走っていた。 小さい町だったが自然美に溶け込んでいた。 オレンジの屋根に白い壁。 この町の石畳の路地をすべて歩き回ろうとポーは声を出して決めた。 相棒がうなづいて微笑んだ。 目の前にそびえ立つ〈キリスト修道院〉の大きな外壁が圧迫していた。 12世紀にテンプル騎士団によって創建され、何世紀にも渡り増改築されて 17世紀に完成されたと言う。 【テンプル騎士団と言うと、小説「ダ・ヴィンチ・コード」に頭が連動して仕舞う】 それはさておいて、キリスト修道院の上空に広がっていた曇り空が青い空に変わってきた。 そして陽射し。 『ラッキ〜!嬉しいなあ』写真家は太陽がお好きだ。 建物に陰影がつくと立体感が増して更に荘厳に見えるからだった。 広い中庭を抜けると右手奥に修道院の正門があった。 外観の細工が派手やかに映った。資料には、プラテレスコ様式とある。 石に掘り込んだ華々しい飾り細工の繊細さに心を奪われ、風雪(ポルトガルではほとん ど雪が降らないから)ではなく風雨に耐えてきた美しさに見とれたのだった。 3ユーロ払って中に入ると幾筋も回廊があった。 人であふれていた。団体客の案内人が説明する声高の怒鳴りが館内に響く。 その群れをすり抜けて先に出た。 ゴシック様式のアーチやブルーのアズレージョ(装飾タイル画)壁面などの歴史に残る回廊が次々と押し寄せてきた。 回廊から更に奥に行くと12世紀にエルサレムの聖墓を基盤として造られた という8角形の堂内があり、壁面と天井には、星降る如くの壁画があふれ描かれていた。 〈テンプル騎士団の円堂〉と呼ばれるキリスト修道院最古の場所だと知った。 相棒のシャター音が堂内や回廊で途切れることなく軽やかに響く。 それぞれの回廊には、それぞれの歴史に伴う華やかさを感じさせてくれたが サンタ・バルバラの回廊にあるテラス上部の〈マヌエル様式の窓〉は突飛して興味をそそった。 高さ10m以上あると思われる窓に、息を呑む。 そこには美しさと豪華さがあった。正面から、斜めから、俯瞰から眺めた。 なぜこの窓だけに、これほどの華やかさあふれた〈飾り〉を施したのか。 ガイド本はいとも簡単に教えてくれた。〈マスト・ロープ・鎖といった大航 海時代を象徴したモチーフが刻まれ、世界に躍進したポルトガルを彷彿とさせる〉とあった。 しかし、なぜこの位地にこれほどの大きな窓を創り、これだけの装飾をした のかの解説はない。風雨にさらされるのが分っていた筈なのに、それが疑問で あった。ポルトガル語がしゃべれれば事務所に飛んで行って聞ける。 それが悔やまれ歯がゆかった。不勉強さに己のぼんくらさを悔やんだ。 相棒が言った。 『泣くんじゃね〜!覚える先から忘れていく歳に、泣くんじゃね〜え!』 優しいお言葉であった。でも、クヤジ〜イ!思いにハラハラとポーは泣いた。 《ポルトガル残酷ふたり旅ケセラセラ紀行》という本を出そうと考えたが相 棒に反対された。このタイトルでは、売れるはずがなかった。 「けいの豆日記ノート」 キリスト修道院に入る時に気になっていた左手に連なる城壁に帰り際登った。 500mほどの城壁は12世紀に築かれた城跡で、かつてキリスト騎士団の 団長でもあったエンリケ航海王子が暮らしていたと言う。 【キリスト騎士団から発想して、テンプル騎士団にいたり〈ダ・ヴィンチ・コ ード〉ダン・ブラウン著の小説に連想ゲーム的に展開していくのが止められな いポーであった。この小説は2006年5月20日全世界同時上映と聞く】 城壁は修道院も守る地形に侵略を防御するような形の曲線になっていた。 その城壁沿いに作られた小道を歩いてみた。観光客は一人もいなかった。 駐車場のある展望台より高い位置にある小道からの町の俯瞰は絶品であった。 太陽が照りつけているトマールの町は青空の下、木々の緑色とキラキラ輝く 川面の水色で染まっていた。 城壁内には小道沿いにオレンジの木が何十本と茂り、甘い香りで満ちていた。 いつの時代から果樹園として植えられていたのだろうか。 古木のオレンジであった。 喉が渇いていたのでひとつもぎ取って食べたい衝動に駆られた。 でも誰もいなかったが、罪は犯さなかった。 沢山落ちていたオレンジを手に取り香りは嗅いだけれど。 町に下りたらスーパーを捜して買えば1ユーロ(130円)で3個は食える。 丘の上で、3時間も楽しんで下界した。 「けいの豆日記ノート」 4時半を過ぎていたが、太陽はまだまだ高かった。 『ポー、川を見たいね!』 太陽は撮影日和。相棒の声に優しさがあふれていた。ありがたい太陽さま。 雨であったら相棒は雷様。だからこの陽射しは福助さまか。 昼食は列車の中で座席から滑り落ちそうになりながら食べたパン1個だけだ。 相棒も小腹が欲しがっていたのかリックから〈ゴマせんべい〉を取り出し食べなが ら路地裏を歩き、川に向かった。 勿論、ご慈悲深い相棒はポーにも一枚くれた。 胡麻と醤油の香りを撒き散らし、バリバリとせんべいを噛み砕く音たからかに歩いた。 『美味しいね〜!』 相棒の声に喜びが滲んでいた。 人通りがあったらすれ違う人は異様な香りにどんな反応をするのか、ゴマせんべい を頬張りながらポーはそちらに強い興味を感じた。 「けいの豆日記ノート」 狭い路地から小川に出た瞬間、相棒は噛み砕いたせんべいを飲み込んだ。 二十歳代の男と女が水浸しになっている姿を目撃したのだ。 二人だけではない。 10人20人でもない。100人単位のずぶ濡れの男達と女達だった。 黄色い声が四方八方から沸きあがっていた。 バケツで川の水をすくい誰彼なく相手に向かって撒き散らしていた。 誰もが水浸し。水で濡れたシャツが肌に張りつき、特に女性の濡れシャツはいい。 うっすら浮かぶ乳房模様の艶でやかさ。 タマランチ絵巻であった。 年に一度の春を迎えた証の大学生達の年中行事〈みずかけ祭り〉と知った。 そんな日に偶然出会えたのだ。神様に感謝であった。 若い男と女達はトマール大学の学生だとボディライン豊かな女の子からポーが聞いた。 こんな取材だと何故か言葉が通じるから不思議だ。 トラクターが飾り付けした荷台車を何台も連ね、ひっぱり、荷台車に乗って いる男女に向かって周りから水をぶちまける。 まるで御輿の担ぎ手に向かって水をぶちまける東京神田の祭りを思い出す迫力があった。 その行進は狭いメインストリートから市庁舎前の、あの鳩の乱舞したレプブリカ広場に集結して行った。 一時間ほど広場は水びたしの学生達に占領され、歌の大合唱がおこった。 どの顔にも笑顔があふれ、水に濡れた若々しい身体から湯気が立ち昇っていた。 静かで寂しい田舎町にこれほどの爆発するエネルギーが秘められていたのだ。 驚きと同時に感動がきた。 学生達の間を走り回って撮影する赤い帽子の相棒をポーは確認していた。 そして、学生達は全員で広場を清掃すると、水の流れのよう引けて行った。 相棒は若者達の歓呼の〈春の薫り〉をフイルムに焼きつけた。 「けいの豆日記ノート」 翌朝4月29日(木)午前5時過ぎ。
目が覚めたポーはホテルのフロント前の
20段ほどの絨毯階段を足音忍ばせて降り、入り口のドアを押し開けて狭い石
畳のメインストリートに出た。
その時、カシャっと背後で音がした。
恐怖が背筋を走り抜けた。
もしや!と思い、入り口のノブを回した。
回らなかった。
鍵がかかってしまったのだ。締め出された。
どうすることも出来ない。ドジッた。呼び鈴を探したが、ない。
石畳の上空は暗かったが夜明けは、まじかだった。街灯の明かりが石畳の一
つ一つの石魂を浮かび上げていた。 宿の窓に拾ってきた小石を投げた。
カチ〜ンと軽い音を響かせ鳴った。待った。
10秒後に相棒がサボテンが咲くテラスに現われた。
笑みもなく眠そうな口がゆっくり二回開いた。「バカ」と読めた。
ポーは苦笑し瞬時に、相棒にカメラを向けた。ポーズを作って微笑んだ。
(カシャッ!) 笑顔が、シマッタ!という表情に変わった。
ポーの逆転勝ちであった。
冷え切った身体に当る熱いシャワーが、痛かった。
朝食ルームは天井が高く築100年の雰囲気があり落ち着けた。
モーニングを食べているのは相棒とポーだけ。
腹いっぱいに焼きたてのパンを食べた。
バターやジャムを塗らなくても香ばしさだけで充分だった。
それに、ガラオン(ミルクが多いコーヒー)を3杯も腹に収めた。
青空の朝、7時半であった。 「けいの豆日記ノート」 町なかを流れるナバオン川。 川幅は20mほどで水量が多く、学生達がバケツで水を汲みあげ仲間にぶちまけていた恵みの川だ。 その川にモウシャオン公園と呼ばれる小島があった。 川は小島の周りから合流すると50mほどの川幅になり下流に向かっている。 島に渡る小さな橋のたとに直径4mほどの水車が水音をたてて軽やかに回っていた。 公園の中にも透明な水が幾筋も流れ、生い茂る木々からは小鳥の声が絶え間なく聞え町の人々の憩いの場になっていた。 ベンチはここでもお年寄り達の指定席であった。 川の流れの中に<キリスト修道院〉の建物が映って揺れている。 (カシャッ!)相棒のシャッターで、水鳥が川面を蹴って飛び立った。 【トマールは1147年サンタレンの戦いに勝利してレコンキスタに貢献した テンプル騎士団にアフォンソ1世がその恩賞としてこの地を与えたのが起源と されたと聞く。そして14世紀以降はキリスト騎士団に移されその時団長であ ったエンリケ航海王子が豊かな財力でポルトガルを大航海時代へと導いたと知る。 「ダ・ヴィンチ・コード」の読者は興味深深ではなかろうか】 旧市街のメインストリートのカフェ店頭に飾られた一枚の写真に相棒が釘付けになった。 白いワンピースに赤いベルト締めた若い女性が頭の上にタブレイロ(盛皿)に 花や串刺しのパンを身長と同じ高さまで積み上げ(その重さ30kg)歩くという4年に1度の祭りの写真だった。 6月下旬か7月上旬の4日間に数百人以上の女性が町中を練り歩くという。 『2ヶ月ほど早かったな〜』と相棒は悔やんだ。 (次回は2007年だった。なので正確には3年と2ヶ月) あの鳩が乱舞したレプブリカ広場を埋め尽くす女性のタブレイロの先端には冠が載っている。 冠は聖霊を現していると知る。 ぞくぞくする「タブレイロスの祭り」の写真だった。 ポルトガルで最も華やかな祭りとして知られている。 【祭りの起源は14世紀。 ディニス王の イザベル王妃がキリスト騎士団を導入し、キリスト修道院を設立した。 町の貧しい人々にパンとワインと肉を施したのが祭りの起源だという。 通りは色とりどりの花のじゅうたんとアーチで飾られる。 祭りのハイライトは、白衣を身にまとい、頭にお盆(タブレイロ)を載せた500人もの女性によるパレード。 お盆には花や色紙で飾られた串刺しのパンが身長と同じ高さまで積まれ、その重さは30kgにもなるという。 華やかさと宗教的な厳かさを兼ね備えた祭りだ。】 この祭りがあるから、この町が生き残っていられるのだと、ポーは思った。 〈青い天使〉&〈宇宙人〉に心を残して、10時15分のバスに乗って次の町 〈ファティマ〉に向かった。バスの窓越しにキリスト修道院が遠ざかって行く。 相棒が叫んだ。『タブレイロスの祭りを見たかったよ〜!』 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2007年4月掲載 |
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