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(中部の交易の中心地・レイリア)
Portugal Photo Gallery --- Leiria

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レイリア1
レイリア城からの眺め

レイリア2
レイリア城

レイリア3
バルコニー

レイリア4
城跡

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カテドラル

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丘の上の教会

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撮るよ〜

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社会見学

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日課

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廃墟の家

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レジデンシャル

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市庁舎

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川向こうの家

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印刷や

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すれちがったシスター

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バスアート

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路地は干し場

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壁アート

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お礼の笑顔

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トリズモ

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スタジアム

レイリアのキリスト様とマリア様を特集してみました。

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キリスト

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古いアズレージョ

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祭壇のマリア様

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マリア

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マリア

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マリア

レイリアのアズレージョ(装飾タイル)を特集してみました。

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アズレージョ・1

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アズレージョ・2

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アズレージョ・3

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アズレージョ・4

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アズレージョ・5

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アズレージョ・6

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アズレージョ・7

レイリア35
アズレージョ・8

レイリア36
アズレージョ・9

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アズレージョ・10

レイリア38
アズレージョ・11

レイリア39
アズレージョ・12

☆レイリアの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンから、バスで2時間ほど。バターリャの北約10kmに位置する町である。
丘の上にそびえる城を取り囲むように広がる、人口4万2000人ほどの地方都市。
レコンキスタ後の15世紀には町の周辺の杉の木を原料に製紙工場が作られた。
商業の中心として、また交通の要衝としてにぎわいをみせている。

「ポー君の旅日記」 ☆ 交易の要所・レイリア ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 聖地〔ファティマ〕から〔レイリア〕にバスで向かったのは、 2004年4月30日(金)小雨が降り出した肌寒い日であった。 昨日、小さなレストランで茶を飲みながら地図を見ていた相棒の写真家が『北 西にあるレイリアに行ってみようか』と言い出だした。 ガイド本には載っていない地名だった。 レイリアまで一人4・8ユーロ(624円)。 草原を走り点在する家並みや広大なオリーブ畑が車窓を走りぬける。 東名高速みたいに両サイドに防音壁がないのがいい。 風景を充分堪能できた。 あっと言う間の30分間の高速バス移動であった。
 こじんまりとしたレイリアのバスターミナルに着く。 雨が上がり青空が所々に見えてきた。

 「けいの豆日記ノート」
 当時は、レイリアはガイド本に載っていなかった。 (2006年版から、載っている) 2年前、2回目のポルトガル撮影取材のときに、ナザレで日本人夫婦にであった。 レンタカーを借りて、ポルトガルを旅をしているようだ。 北海道に住んでいて、新婚旅行のようだった。 〔ペニシェ〕と〔レイリア〕がいいという話を聞いた。 ガイド本には地名しかなく、まったく未知の町だった。 その時には、スケジュールが決まっていて変更はできなかった。 だから、また行く機会があったら、ぜひ寄りたいと思っていた町だ。

 まずは、トリズモ(インフォメーション・観光案内所)探し。 レイリアの地図がないから相棒の勘が頼り。 歩いて5分もしないうちにドンピシャ!見つけた。が、ガーン!閉まっていた。 ランチタイムには10分も早いのに。 今日の宿も決まっていない。トリズモで紹介してもらうしかない。 その頼みの綱が閉まっていた。
『昼食にしようか!』切り返しが早い相棒だった。 『中華にしない?』異存なかった。 「チャイニーズレストランは?」と歩いてきた若い女性に相棒が聞いた。 どこの町に行っても中華店は必ず1軒はある。
 教えてもらった中華店〈PANDA〉は石畳の坂道を90mほど登った右手にあった。 中華店の前に必ず赤いちょうちんが風に揺れているから遠くからでもすぐ分かる。 『ニーハオ!』と店に入った。 大柄な女性がえっ?という顔で迎えてくれた。 そして、「日本人?」と聞いてきた。 頷くと笑顔で大きなアズレージョ(タイル画)が張られた壁際の席に案内してくれた。 アズレージョは、かつてのレイリアの町並みと丘の上の城が描かれているようだ。 バスターミナルから出て、町を見まわしたとき確かに丘の上に城塞らしいものが見えた。 中華を食べ、トリズモで地図と資料をもらい、宿を決めてから城塞に登ってみようと決めた。 メニューを持ってあの女性が笑顔で注文に来た。 漢字で書いてあれば勘で判断し料理のイメージが想像できるが、ここはポルトガルの中華店。 相棒がporco(豚)を頼りにメニューを指差した。彼女はにこり優しい瞳で「謝謝!」と。 さて、どんな料理が運ばれてくるか楽しみ。 待つ間、相棒は小さなノートを出してシコシコとメモる。注文した料理名と値段を書いていた。 『総額で・・・1482円だよ、まッ、いいか』と吐いた。
 家計簿名人は地図の読み取りだけでなく、暗算も速い《犬》だった。 スーパーで買い物をしてもレシートをスーと眺め 『アー、違う!2割引になっていない・・・あらま半額になってない!表示より10円高い!』と見つけ出す。 自分の買った商品の値段はしっかりと覚えている。 スーパーのレシートなんて右から左にポイッ捨て!見もしないポーには、相棒は数字魔に見えてくる。
 料理が運ばれてきた。正解正解と相棒に視線を送る。 「豚肉入りやきそば」一皿4.75ユーロ、「肉団子煮込み」一皿5.0ユーロ。 それに、ビール0.9ユーロ、ジャスミン茶0.75ユーロ、計11.4ユーロ(1482円)だった。 量が多いから、いつも一皿ずつだったがこれが思っていたより美味かった。 ポルトガル風中華に慣れてきたのかも知れない。

 「けいの豆日記ノート」
 どこの町にも1軒はあるのが中華の店である。 ほんとは、ポルトガル料理を食べたほうがいいとは思う。 でも、わからないメニューから、適当に選んでいる。 それに、安いものしか頼まないし、おいしいものにあたる可能性は低い。 幸い好き嫌いがあまりなくなんでも食べれるので助かっているが。 だから、数日に1回は、中華にしている。 中華といっても日本で食べる中華とは、かなり違ってはいるが。 ジャスミン茶は、急須で出てくるので、お得かも。 せこいなあ。

 トリズモに戻った。入り口に下げてあったブラインドが上がっていた。 『ボア タールデ!』知って いる言葉はその状況で使わないと使うときがない。 「Boa tarde!」こんにちは、とハスキーな声が返ってきた。美人だった。 トリズモで会う女性は若くても中年でも皆、美人だった。 ここで出会った婦人は瞳に憂いがあった。地図と資料をもらい、説明を聞いた。 ほとんど解らなかったが雰囲気は伝わってくるから不思議であった。 ポーはハスキーな声に聞きほれていた。 後で資料を辞書で引いて解ったが、レイリアはかつて交通の要として栄えた町であったという。 また幾多の詩人の故郷でもあった。 中でも、デイニス・フランシスコ・ロドリゲス・ロボとアフォンソ・ロペス・ビエイラは有名だと知る。 そして、サウダ−デ(郷愁)がこの町のテーマであった。
 ガイド本に載っていないレイリアを応援したくなっていた。 係りのご婦人の《哀愁の瞳》ばかりではない。 相棒が安い宿探しの交渉をし別れ際にお手製の折り鶴を1羽差し出した。 彼女の輝く顔が印象的であった。 トリズモから紹介してもらった宿までは10分。 公園を抜け橋を渡る。川には鴨と白鳥がゆったり泳いでいる。 宿・デニスは急な石畳を登った左手の高台にあった。 34ユーロ(4420円)の部屋に案内されテラスから町を見渡した。 眼下に町の中を流れる川がありオレンジの屋根が連なり、その先に城塞が小高い丘の上に見えた。 案内してくれた小柄な女将の物静かさが気に入り、相棒が『お願いします』と決めた。

 「けいの豆日記ノート」
 いつもホテルは、日本から、決めていくことにしている。 駅から近くて安いところだ。 現地で探したほうが安いところが見つかるかもしれない。 でも、探す時間がもったいない。 バックをもってうろうろとしていると、撮影時間がなくなってしまう。 レイリアは、町の情報がなく、ホテルの予約ができなかった。 ネットで探す方法もあるが、ネットにでているホテルは高いところが多い。 それに小さな町など出ていない。 ポルトガル語版で探せば、あるのだろうけどね。 トリズモでホテルを探してもらうのは、ドキドキするね。 見つかってよかったよ。

 曇り空の町に飛び出した。この町に着いた時ちらり見えた青空は消えていた。 資料を辞書で引く暇もなかった。 『時間がもったいないから夜にして』と相棒はカメラバックを肩に赤い帽子をかぶり直して 『さ、行こうか!』と軽やかに放つ。
 この町も道路が駐車場であった。 石畳の道路の両側は長い駐車の列。 都会でも田舎でも有料駐車場がないようだ。 かつて日本映画界を一時期支配していた〈フランス映画〉で、路上駐車の車が前後の車に ガツン!ゴツ−ン!と打ちかまし発車スペースをつけてから、出て行くシーンをたびたび見せられた記 憶がよみがえって来た。 バンパーはそのためにあるのだと知らされたシーンであった。 びっしり詰まった駐車の列を眺め、ぜひ発車シーンを見たいものだと思う。
 『夕方もう一度ここに来たいよ!』と相棒 に言うと『・・・どうして?』と聞いてきた。 説明すると『本当なら、私も見たい!』写真家の眼になっていた。
 再び橋を渡って北西に見える城塞に向かう。 石畳の路地を登る。白壁にオレンジの屋根をのせた民家の庭には花々が咲いている。 絵本に描かれた絵を見ているようだ。 ≪CASTELO DE LEIRIA≫〔レイリア城〕と書かれた小さな看板 が貼ってある小屋が入り口だった。 城塞に入るのは城門ではなく木戸。入場料は一人1・07ユーロ(140円)と安い。 65歳以上は0・54ユーロ(70円)半額である。 外観から勘で期待ができた。 もう、いくつ城塞を見たことか。どの町に行ってもほとんど城塞があった。 自分のエリアを守るためには城が必要だったのだ。城壁の内部は広い。 石積みの迷路のようだ。 観光客はいない。大きな声を出して歌っても気兼ねなしの雰囲気。 自分の城に帰還したみたいで嬉しくなる。 観光的に手を加えていないのがいい。
 気が付くと、相棒の姿が見えない。叫べども返事なし。 放し飼いした犬ッコロが行くところは高台しかない。 修復されていない城内を巡り高台に向かう。 アーチ模様の窓辺の柱が30mほども続く大広間に出 た。天井の石組も崩れた後もなく風雨に耐えている。 その大広間で相棒は町の俯瞰を撮影していた。 きれいだ。レイリアの町が隅から隅まで見渡せた。 オレンジの屋根と白い壁の家と木々の緑が配置よく眼に飛び込んできた。 美しい景観の町であった。 このアーチ模様で着飾った空間に住んでみたくなるほど心地良い展望に癒される。 吹き寄せる風もなめらか。 ガラス窓などいらない(勿論ない)大広間だ。 アーチ模様の柱の下に連なる石のベンチに座り、ポーは資料を取り出し辞書を引いた。 《初代ポルトガル王アフォンソ・エンリケスが南部にあるリスボンなどへの防衛のため1135年に築 いた城で、その後放置され14世紀になってディニス王と王妃イサベルが修復し居城とした。 以来ポルトガル中部の交易の中心地として栄えた。 今ある城の姿は16世紀に建てられたルネッサンス様式のもの》と言うことが判った。
   城塞の先端から真下に真新しいサッカードームが見えた。 座席シートの色が赤青緑黄色などカラフルに色分けされている。 今年は4年に一度の《ヨーロッパ大会》がポルトガルで開催だった。 6月までに準備は万全だろうかと気になる。 【2004年6月名古屋市栄にあるセントラルギャラリーで『山之内 けい子・愛しのポルトガル写真展part8・ポルトガルの人々100点』を展示した。 ポルトガル大会を記念しての個展だった】

 「けいの豆日記ノート」
 レイリア城は人の気配がなかった。 観光地でもないので、あまり人が来ないのだろうか。 どこでもそうだが、城は丘の上にある。 だから、坂道や階段を登らなければならない。 それは、しかたないかな。 このレイリア城では数人しか会わなかった。 だれもいない城もいいものだなあ。 自分のお城みたいだな。 住んで見たい気もするけど、幽霊がでそうだ。

 木戸をくぐって城塞の外に出たら100人ほどの高校生の社会見学群が坂道を登ってきた。 この若々しい大群を相棒が見逃すはずがない。 『ポー、いいよね!』群れを追った。 木戸の係りの女性にもう一度入らせて欲しいと頼んだのはポーだった。 笑っていた。犬ッコロは、30分戻ってこなかった。 『群れはむずかしいよ!顔だけ撮っても意味ないしなー』相棒は疲れ気味に吐く。お疲れさま。
   城塞から5分も降らない坂道の途中に、庭一面花が咲く民家があった。 庭で婦人が草取りをしている。 相棒はポーが背負っているリックの紐を解き、一枚のカードを取り出す。 名古屋の友人フラメンコアーチストの出口さんに書いてもらった〔撮影許可願い〕だ。 出口さんは、スペインに住んでいたこともあり、何ヶ国語もの言葉が話せる頼もしい人だ。 《日本から来た女性写真家ですが撮影させて頂けますか?》 話すよりこのカードを見せたほうが結果が早い〈御守り〉だった。 「jardim?」と日よけ帽子をはずしながら応答してくれた。 『Sim!』と相棒が微笑む。 手招きがあると相棒はカメラをかまえて庭に入っていった。 ぶどう、桃、オレンジ、柿、びわ、レモンなどの花や実がいっぱいだった。 撮影する様子を庭のテーブルに座り50才代の婦人は笑顔で見つめていた。 民家で50坪も庭があるのは珍しい。 農家でも大邸宅でもない民家だ。 平屋の白い壁の中も見たかったが、それは止めた。 ずうずうしさは、庭でよしとした。感謝した。 撮影がすむと婦人にお礼の 折り鶴を相棒が渡す。 婦人は相棒にBeijinho!(両頬に軽いキスの挨拶・よろしくね!)してくれた。

 「けいの豆日記ノート」
 ポルトガルの普通の人の家に入ってみたかった。 でも、なかなか、入るきっかけがない。 逆の立場だったらと考えると、そんな簡単に家に入れてくれなんて言えない。 友人が書いてくれたカードも使い道がないかなと思っていた。 家の庭が外から、見えるのは、めずらしい。 中庭になっている家が多いからだ。 すてきなお庭がみえたから、ここならいいかなと聞いてみた。 にこやかにOKをもらってよかった。 植物ばかりを撮ってもしかたないのでほどほどにして、お庭見学をした。 カードが使えてよかったよ。

 更に坂道を下る。今夜の食事調達のスーパーをさがす。 石畳の路地を幾筋も通る。 窓辺のテラスには花が咲く鉢植えが並び、夕日を浴びその陰を白い壁に映していた。 カテドラルの鐘が聞こえてきた。親切なおばさんがスーパーまで案内してくれた。 わからないはずだ。 日本みたいに大きな看板もなければ、広い駐車場もない。 建物の前を通っても行きすぎてしまいそう。 おばさんにも勿論折り鶴をお礼に差し出した。 何時も怪訝な顔が笑みに変わる瞬間がたまらなくポーは好きだった。 ポルトガルの人はどの町に行っても親切で心を締め付ける。
 白ワイン1びん1.38、ヨーグルト1ヶ0.28、エッグタルト1ヶ0.37、梨1ヶ0.34、 メロン半分0.94、シナモン味ロールケーキ2ヶ1.30、計4.61ユーロ(599円)が夕食の 献立だった。(梨と思ったが食べたらりんごだった) 豪華な?夕食後、寒いのでヒーターのスイッチを押したが暖かくならない。 女将に聞きに行くと、10分待ってね、と優しく言われると、はい!と答えてしまうポーだった・・・。
 翌朝5月1日(土)は小雨模様。 昨日の万歩計18027歩を0に戻した。ポルトガルに来て17日目。毎日歩き詰めで疲れも溜まっ てくる頃だが相棒にはその気配がない。 モーニングの7時には、食堂で相棒が食べること食べること。  寝起きでこれほど食べれる恐ろしさ。 小さな身体のどこに吸収されてしまうのか。 日本では毎朝ヨーグルト1個だと言うが本当だろうか。 微笑で女将が近寄ってきた。ヒーターのことを案じてくれているようだ。 ジャスト10分10分とポーが礼をいう。 女将の、もの静けさが好感だった。

 「けいの豆日記ノート」
 朝、起きると雨だった。 雨だとがっかりする。 町を散策するだけなら、雨でもいいのだが、写真を撮るとなると違ってくる。 暗くなるので、望遠が使えない。 手ブレてしまうからだ。 それにカメラが濡れてしまうのが困る。 機械類は水に弱い。 ここでムリをして壊れたら、後が困ることになる。 歩いているうちに晴れることもあるので、出かけることにした。 晴れそうにない場合は、リスボンへの移動のバスを早めようと思う。 移動中なら、どんなに降っても関係ないので。

 バス出発までの5時間を小雨の中の散策にした。 宿の前の川沿いの道を歩き、丘の上に見える大きな 教会を目指す。それが急な坂道でヘトヘト。 でも相棒は先の先。朝食の糧の差か。外観は立派な教会で あった。撮影しながら首を傾げる相棒。
 『変だよ、人ッ気もないし、建物に温もりがないし』正面に回ったら廃墟の教会だと判った。
 『ラメーゴの教会を真似して建てたみたいな造りだと思わない?』 教会正面の石畳には雑草が生えたままだ。
 『観光名所にと考え失敗したんじゃないかな。』相棒の観察だった。 どの扉も閉ざされ、石畳の雑草も踏まれた形跡がない。 高台に残されたままの教会は小雨に包まれていた。 美しい町レイリアの俯瞰風景がやけに美しく見え、複雑な気持ちが迫った。 なだらかな石段が町に向かって100m以上も延びていた。
 相棒はカメラを肩に下げたバックに仕舞った。 雨の日は、早く移動するに限る。 バスターミナルに行ってバスの時間を確認。 予定していた13時のバスを9時40分に変更。
 宿の女将が再会はないの、寂しいわねと言ってくれた。手のひらの折り鶴が小刻みに震える。 優しい人だ。 うれしい!と相棒が吐き『オブリガーダ!』と女将に言った。  別れはいつも辛い。いい笑顔の女将さんであった。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2007年6月掲載

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