「ポー君の旅日記」 ☆ 虹のカステロ・ブランコ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
ポルトガルの中央部、ベイラ・バイシャ地方にあるカステロ・ブランコに入ったのは、2月19日の夕方だった。
首都リスボンからバスの旅を続け、あの町この町で夕方を迎え14日が過ぎていた。
一日二万歩撮影取材の疲れがピークに来ているのか、写真家はバスの後部座席で眠っている。
ガイド本には〈1807年のナポレオン軍による攻撃で町は破壊され、歴史的なモニュメントは少ない。
旅行者にとってさほど魅力ある町ではない〉と書いてある。
でも、その町で〈天使の滑り台〉に出会えたのだ。
どんより曇った雨上がりのバスターミナルに着いた。
大きな旅行バックふたつをバスの〈おなか〉から引きずり出す。
足を止めての視線を感じる。(ジャポネーズ・・)と言う小声を聞いた。
意外と人の多いのに戸惑う。帰宅時間帯なのかもしれない。
ガイド本の地図を見ていた相棒が『ポー、宿まで900m。転がすの無理だからタクシーに乗ろうか』と有難いお言葉。
そこでポーは、荷物とけいちゃんを残しタクシー乗り場を探しにターミナルを飛び出す。
この町は、田舎町ではなかった。身奇麗な若者が多い。大学があるのかもしれない。
学生風の青年にタクシー乗り場を教えてもらう。20mほど行った坂道の途中にタクシーが止まっている。身振りでバスターミナルまで戻り、人とバックを積みホテル・アライアナまでと伝える。
「sim!(わかった!)」と気のやさしそうな運転手はうなずいてくれた。ホッ・・・と安堵。お互いしゃべる言葉は違っても、なぜか、息が合った。2割が日本語、8割がアクションで。
けいちゃんは降りるとき料金のほかに手作りの折り鶴を添えた。笑顔が来た。
ホテルの入り口を入ると目の前に小さなカウンターがあり小太りのおじさんがいた。
「日本から来た・・・」と相棒が言いかけるとすぐ頷き鍵をくれた。名古屋からfaxで予約しておいたので、話は早かった。部屋は2階の103号室。
目の前に伸びる急な階段を重いバックふたつを運びあげるのに一汗かいた。おじさんはニコニコみているだけだ。
荷を解いて、町に飛び出した。5時を過ぎていた。
まず、高台に登り町の外観を知る。それが、基本の行動だった。
急な石畳の坂道を登ること30分。城跡があった。町が一望できた。厚い雲の下にレンガ色の屋根が重なり、思ったより広く美しい町だった。
寒さが足元から這い上がってきた。暗くなってきた坂道を急ぎ足で下った。
「けいの豆日記ノート」
スーパーを発見!一日一回は外食の予定だったがスーパーの中を見て回るうちに、外食はもったいないと思ってしまうせこい自分が悲しいよ。
マヨネーズサラダを食べたくなって、レタス、トマト、いちごを買ってしまう。750mlの1ユーロ赤ワインも買った。日本では信じられない安さ。
シーチキンらしき缶詰も安かったので買う。
ハム売り場で、計り売りで買う客を見た。初め、『2』と指で示したら、200グラムと間違えたらしくハムをたくさん秤に載せようとするので、『違う!二枚!』と思わず日本語で言ったら2枚だけ計ってくれた。
一枚の大きさが油揚げぐらいあったよ。全部で、3ユーロちょっと。ホテルの部屋でサラダを作る。 マヨネーズをたっぷりかける。レストランのオリーブ油とビネガーだけでは何か物足りなかったからね。
満腹満腹。残ったレタス半分とトマトは明日にまわす。サラダは自分で作って食べるに限るよ。
(この町に来たのはモンサントに行くために来た。その中継地だった。しかし、ただの中継地ではなかった。 神様の贈り物があった。)
翌朝早出して、モンサントから帰ってきたのは、午後1時。ホテルに戻った30分後には、洗濯物が万国旗なみに部屋中に吊るされた。
こまめに時間があったら洗濯をするのも、旅の術だった。
ホテルを出て、なだらかな石畳の坂道を5分ほど下ると小さな広場がある。昼飯のレストランを探す相棒の臭覚先はカフェだった。
ピザとハンバーガー、小瓶のビールとファンタで6・25ユーロ(813円)だった。細長い店内は学生達でいっぱいだ。20歳代の若いひとみの、好奇心の矢が飛んできた。
けいちゃんがカメラを向けると、微笑んだ。爽やかな笑顔だった。「ジャポネーザ」と相棒に声が飛ぶ。持ったカメラと一緒にけいちゃんは笑顔いっぱいにコクンと、うなずく。
店を出て北に向かって坂道を600mほど歩くと、町の中心地だ。
左手に昨夕登った城跡が高台に見える。トリズモ(観光案内所)で地図と観光案内パンフをもらう。更に北へ500mほどオレンジが実る街路樹の石畳を歩く。
写真家が期待する〈人物〉にはなかなか出会えない。そんな日もあるものだ。鉄扉の中に美しく刈り込まれた庭園が見えた。そこが、唯一の観光名所だった。
〈宮殿庭園〉は噴水を中心に刈り込まれた植木が幾何学模様に広がっていた。それに、歴代国王の像が何十体と並んでいた。急に小雨が降ってきた。
オレンジが実る木の下で雨宿り。 オレンジの香りが雨のしずくと一緒に落ちてきた。
「けいの豆日記ノート」
30m先に教会が見えたので走った。雨宿りのつもりで入り口を入っていくと、ビックリするほど大きな男の人がいた。
日本から来た女性カメラマンだとポーが言うと、大男は笑みを浮かべ厚い重そうな扉をあけ、中を見せてくれた。普段は見せてもらえない所を案内してくれたようだ。薄暗い部屋に陳列された品々は貴重なもののよう。
でも、その価値は、ごめん、わからなかったよ。説明していただいたのにね。
10分ほど見て、有難うと言ったらその響きが気に入ったのか大男は「アリガトウ」を何度も声に出して言った。 なぜか、とても嬉しかった。
(もしかして、大男はとても偉い人だったかも知れない・・・)
外に出たら、雨はやんでいた。雨宿りしたのはグラサ修道院だった。
青空が見えてきたので昨日登った城跡に息切れしながら40分もかけて再び登る。青空のある俯瞰の町が撮りたかった。昨夕、きずかなかったアーモンドの白い花びらが青空に映えていた。
そして、また雨が。20分も続いた。 カメラマン泣かせの天候だった。しかし・・・。
「けいの豆日記ノート」
城跡の小さな空間でまた雨宿り。寒い。眼下には雨でけむる町が薄っすら見える。雨が西の方からあがって、雲間から陽射しがこぼれて来た。その時だった。
グラサ修道院あたりが、ポーと赤く輝いた。「何あれ!ポー!」と私は叫んだ。すると、どうでしょう!見る見るうちにその明かりが棒状になって、上に上にと、伸びていく!「虹だ〜!」とポーが叫ぶ。
そして、眼下の左手からも虹の棒が天に向かって伸びて行く。私は、ポーが叫ぶ意味がわからなかった。
だって、虹の誕生を見るなんて、生まれて初めての出会いだもの!「撮れ〜!」とポーが
叫ぶ前からシャッターは切っていた。「虹だ〜!」の叫びで切り始めていた。右と左とから湧き上がった虹は半円を描いて天空で合体!した。
半円の全体像を撮りたかったけれど、眼下で描かれた虹は近すぎた。
そして、5分後、虹は合体した天空から左右に分かれそれぞれが生まれた地点に消えていった。10分も満たない、虹の空中ショーにグッタリ疲れた。 初めての体験に、驚き、興奮し、感動し、くたびれた。
うん十年前、小学校4年の時、初めて虹の7色を教わったことを思い出していた。
先生が言った。「虹はね、下から上に向かって7つの色がある。
歌うように覚えよう。♪紫、藍(あい)に青・緑、黄色・橙(だいだい)・赤の七色(なないろ)♪」と。
そして、帰り道で両方の頬(ほほ)が林檎のように真っ赤な可愛いい少女に出会えた。
(写真展では、『天使の滑り台』と『りんごちゃん』のタイトルで発表された。)
|