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(水の都・アマランテ)
Portugal Photo Gallery --- Amarante

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アマランテ1
水の町アマランテ

アマランテ2
夜のタメガ川

アマランテ3
水の映り

アマランテ4
巨人の国

アマランテ5
山あいの町

アマランテ6
時計塔

アマランテ7
夜の舞台

アマランテ8
記念碑

アマランテ9
旧市庁舎

アマランテ10
教会への道

アマランテ11
スポーツディー

アマランテ12
社会見学

アマランテ13
新緑の陽射し

アマランテ14
並んだパラソル

アマランテ15
何しているの?

アマランテ16
メガネ橋

アマランテ17
モリゾーの家

アマランテ18
自然の中で暮らす

アマランテ19
森林浴

アマランテ20
少年時代

アマランテ21
休日

アマランテ22
さざなみ

アマランテ23
一生の友

アマランテ24
聖ゴンサーロ

☆アマランテの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルトから、東へバスで1時間ほどの場所にある。
紀元前4世紀にはローマ人が移住しており、統一者の名前アマラントがこの町の起源である。
縁結びの神ゴンサーロ聖人が祀られている教会があることでも知られている。
アマランテのタメガ川にかかる橋の風景は美しいことで有名である。

「ポー君の旅日記」 ☆ 水の都・アマランテ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 今回のポルトの定宿はぺニンスラール。 鉄道の要、サン・ベント駅から徒歩3分の距離だった。 2004年4月25日(日)朝7時半のモーニングタイム。 いつも無愛想なおばちゃんが広い食堂で、一人ぽつねんと立っていた。 『Bom dia!』と朝の挨拶の声をかけたときだけ口元に笑みらしい皺(しわ)を作る。 笑ったに違いないと思うがよく観察しないと分らない。 何時もポーと相棒の写真家けいちゃんはモーニングタイムの一番客だった。 だから他の客はいない。おばちゃんと目をあわすのが楽しみだった。 いかにおばちゃんの顔にいっぱい皺を作らせられるのか、それが楽しみだったがこの朝も失敗に終った。 今日も旅行バックをフロント脇の倉庫に預け、10時発のバスまでの1時間をポルトの散策に当てた。
 晴天の日曜日の朝だった。 ホテルから南に500mほど歩いてカテドラル(大聖堂)に行く。 司教の声がドームに響き、50人ほどが黒光りする木製の長椅子に座っていた。 両側は大きな柱が教会を支え並び、奥深くの祭壇は天窓からの光線で浮かぶ。 神が宿る雰囲気があった。 このカテドラルは12世紀に建てられた要塞で、17〜18世紀にわたり改装。 クレリゴス教会を設計したイタリア人の建築家ナソーニの作品だ。 トリズモ(観光案内所)でもらった資料を辞書で調べた。 ガイド本をバスに置き忘れたので日本語の情報がなかった。 ガイド本が無いと、泣きたくなるほど不便だった。

「けいの豆日記ノート」
 数日前にブラガンサから、ラメーゴに行くバスの乗り換えで、ガイド本を忘れた。 あわてていたこともあったが、気が付いたときはすでに遅し・・・ 『ガイド本』と『指差しポルトガル語』と『日記』と・・・ まだ、旅ははじまったばかりだったのに。 でも、ないものは、しかたがない。 なんとかなるでしょう。

 10時発のバスに乗ってアマランテに向かう。 一人4・3ユーロ(559円)。ポルトから東に1時間の町だった。 《こんな近くに、こんな素敵な町があるとは思わなかった》 まず、トリズモを探して地図と資料を貰うことが先決だった。 バスターミナルを出たら狭い石畳の道路の両側に人々が立っている。 何かが来るのを待っているようだった。ポーと相棒も待ってみた。 ゼッケンナンバーをつけたマラソンランナーが走ってきた。 ワ〜オ!と歓声が起こった。次々にランナーが来るたびに歓声だ。 犬もランナーに向かって吠えた。その犬は真剣な顔で応援していると思えた。 年に一度の町内マラソン大会だったかも知れない。
   目の前に、狭い石段があった。登ると巾の広い道路が南北に走っていた。 北に向かって歩くと左側の眼下に雄大に流れる川が東西に走っている。 (いつも、100円ショップで買ったコンパスを持って歩いている。) 道路が橋になっていた。200mほどの長い橋だった。 川風はあったが暑い陽射しが照りつけていた。 青空が目の前に広がり、緑色の川面に両岸の風景が映ってゆっくりゆったり 流れ、200mほど先に水面に映った半円の橋が眼鏡のように見え、その右手に教会があった。 風景を眺めていると、そこら辺が町の中心のようだった。 今夜泊まる宿は名古屋からFAXで予約しておいた。しかし地図が無いので 何処か分らない。だから、トリズモを探して地図をもらいたかったのだ。 橋を渡って川沿いの道を西に向かった。大きな木が茂る石畳の並木道は暑い 太陽をさえぎってくれた。右手に橋の上から見た大きな教会の建物があった。 その建物の前に広場があり、左手にあの眼鏡橋があった。 周囲を見渡したが、トリズモはなかった。 『けいちゃん、どうする?』と相棒に聞く。 こんな時はいつも地図に強い《犬》に聞くに限る。即座に答えが返って 来るからだ。

「けいの豆日記ノート」
 いつも日本でホテルを決めてFAXで予約するようにしている。 ホテルを決める時に、ガイド本とにらめっこして、安くて、駅から近いところを探す。 荷物を持って移動するのは、たいへんだからだ。 といってタクシーには乗りたくない。 日本にいるうちから、駅から、ホテルまでの場所を歩いているようなものだ。 だから、地図がなくても、だいたいの場所は覚えているものだ。 小さい町なので、近くまでいってホテルの名前をいえばわかるものだ。

 『ドナ・マルガリッタ!』 今夜泊まる宿だった。目の前の果物屋のおばさんに聞くと、ニコニコ笑って、 指差した。50mほどさきに真っ白い二階建てのドナ・マルガリッタがあった。 ホテルと言うより小奇麗な民宿という感じだ。小さなフロントで、笑顔の 可愛いおばさんが迎えてくれた。『本当に来てくれたのね!』(たぶん)と、 送ったFAXを摘みひらひら見せて喜んでくれた。 予約して来ない客がいるのかも知れない。 日本から約束どおりやってきたのが、嬉しかったに違いない。 部屋に案内してくれた。天井の高い白で統一された部屋は部屋のテラスから 差し込む日差しで清潔感いっぱいだった。そして、テラスからの風景がいい。 ぶどう畑の先20mほどにさっき見た川が流れ、川岸には大きな木が並び、 その上空に紺碧の空が広がっていた。一服の絵であった。川風が優しく吹いてきた。 テラスに出て判った。川のほうから見れば、この建物は3階建てだった。 3階建てのペンサオン4星の宿であった。50ユーロ(7000円)朝食附き。 相棒が言った。『まっ、いいか!テラスからの景観は10ユーロはするよ!』 それで決まりだ。
 おばさんがオーナーだった。 持参の《愛しのポルトガル写真集》をあげた。 おばさんは表紙を飾る相棒の顔を指し、あんただね!と、嬉しそうに何度も聞いた。 でも、部屋代は安くならなかったが効果は如実だった。 トリズモの場所を聞くと大学教授みたいなご主人が案内してくれた。5分程 もどった眼鏡橋の広場に出て教会の裏に連なる大きな建物の一番奥の入り口を 入ったところに《トリズモ》があった。さっき通って来た建物だったが表に、 なんの表示(トリズモマーク)もない。分らなかったはずだ。 地図と資料を貰った。ご主人に礼を言って、別れた。 ご主人は更に町を案内してくれる雰囲気があったが、丁寧にお断りした。 説明されても言葉がわからないので、それが失礼だと思って断念した。

「けいの豆日記ノート」
 観光じゃないのだから、名所を説明されてもね。 言葉もわからないし。 たとえ、日本語だとしても、人について歩くのは、いやだった。 自分の好きなところに行きたい。 自分の好きな写真を撮りたい。 あとで、日本に帰ってから、写真を見てみると、有名な建物を撮っていなかったことがよくある。 建物じゃなくて人物ばかりに目がいくんだよね。

 トリズモの事務所の椅子に座って地図をひろげ、辞書を引いて調べた。 川はタメガ川。眼鏡橋はサン・ゴンサーロ橋。教会はサン・ゴンサーロ教会。 大きな建物はアマデオ・デ・ソウザ・カルドソ美術館。広場はレプブリカ広場。 小さな町だった。 アマランテは、紀元前4世紀にはローマ人が住んでいたということも分った。 もうひとつ分ったことがあった。 毎年6月の最初の土曜日にはサン・ゴンサーロ祭が行われ、良縁を求めて 沢山の独身女性がポルトガル各地から集まるという。 いい話ではないか!昔は教会に祭られたゴンサーロ聖人の秘部に結びつけ られた紐(ひも)を引っ張って結婚相手との出会いを祈ったそうだ。 そして、出店屋台では男性の性器の形をしたお菓子が売られるという。 そんな祭りに遭遇したかった。知らなかった。二ヶ月あまり早く来すぎた。 相棒の写真家は、隣で唸った。そんな菓子を食べる女の子の写真を撮りた かったに違いない。

「けいの豆日記ノート」
 ほとんどのお祭りは、6・7・8月の夏場に集中している。 観光シーズンでもあり、雨がほとんど降らない気候がお祭りに適しているのかもしれない。 お祭りの日が雨なんて最悪だものね。 撮影取材は、航空運賃が安い冬場が多い。 夏と冬とは、2倍くらい値段が違う。 ホテル代も場所にもよるが、それくらい違う。 で、貧乏人である旅人は安い時期しか来れないということになる。 なので、お祭りというイベントには無縁である。 悲しいなあ。 でも、シーズンオフのいいところもある。 まず、観光客が少ないということだ。 店が空いているので、お店の人と向き会える時間がある。 人々の普通の生活が見れるということだ。 よく天気のことを聞かれるが、天気だけは、そのときの運だと思う。 統計的に雨が多い時期といっても、ずっと晴れの日もある。 金はないが天気だけはついていると思うよ。

 その教会、サン・ゴンサーロ教会に入ってみた。 なかなかの教会で、天井のドームも高く祭壇も素晴らしい。 今までいろいろな教会の祭壇を見てきたが細工に手抜きが無い繊細な美しさ があった。資料には、ゴシック、ルネッサンス、バロックの様式を施した 1540年に建造が始まった教会だとうたっていた。 ゴンサーロ聖人は別室に安置されているため、見ることができなかった。 (紐を引っ張られる、そのお顔が見たかった) 教会の脇にあった狭い石段を登ると、住宅地だった。 丘の上は小奇麗な住まいが立ち並んでいる。みな一戸建ての住んでみたく なるようなたたずまいだ。その住宅地に一軒だけ食堂があった。2時を過ぎた ところで、腹もペコペコだったので吸い込まれるように入った。 4人の家族連れが一つのテーブルを囲んで食事をしていた。客だと思い、 ポーが奥に向かって叫ぶ。 『何か食べさせてくださーい!(日本語)』 すると、食事中の家族の中の若い女性がメニューを持って立ち上がり寄って 来た。えっ!だった。 『すみません!お食事中に!(日本語)』 ポーは、深く頭を下げた。 『Vim do japao!』日本から来たと相棒が告げ、食べる動作をした。 日本から来たのかと16歳ぐらいの女性は少し驚きテーブルをすすめてくれた。 『オブリガーダ!』と相棒。微笑んだ彼女が差し出すメニューの一品を指 し『これ一つとグラスワインにファンタ』と相棒が得意の自家製手話で、注文した。 これって言ったけれど、はたして何を頼んだのか不安だった。 彼女が席に戻ると父親が席を立ち厨房に消えた。残った家族はこちらを見て 微笑んだ。ここで相棒のパホーマンス。 《折り鶴》を4羽、家族のテーブルに運んだ。母も娘も息子もびっくり。 でも、喜んでくれた。 相棒が演じる鶴の飛ぶアクションには声を上げて笑ってくれた。やるぜ相棒。 写真を撮っている時とは別人であった。 相棒は旅を楽しんでいた。 ポーは相棒けいちゃんに言った。惚れたぜと。返事は、馬〜鹿だった。   食事が運ばれてきた。 サラダと炒めたライス付きの羊肉煮込みだった。赤ワインが美味かった。 自家製なのかも知れない。そういうワインが美味しいと判ってきた。 8・25ユーロ(1080円)の昼食に満足だった。

「けいの豆日記ノート」
 言葉がわからないと食事の注文をする時がたいへんだ。 大きなレストランなら、いろいろな言葉で書いてあるメニューがある。 でも、そういうところは、高いので入らない。 地元の小さい食堂のようなところでは、もちろんそんなメニューはない。 肉の種類で分けてあるレストランは親切なところだと思う。 メニューすらないところもある。 そのへんは、感で安いものから、適当に選んでみる。 なにが出てくるかは、お楽しみだ。 失敗に終わっても、安いなら、あきらめもつくというものだ。 味付けは違っても人間の食べるものなのだから、そんなに変なものがでてくるものではないと思う。 前にモンサラーシュでどうしても食べれない物が出てほとんど残したことがある。 こんなことは、めったにあることではないのだから、まず大丈夫だろうな。

 丘の上の住宅地からタメガ川に向かって降りていくと、ぶどう棚に囲まれた 農家が目立つ。ぶどうの新芽が緑色で美しい。そのぶどう畑の中を巾1mほどの 流れが速く、水量いっぱいの小川が音を立てて幾重にも走る。 後、1ヶ月もすれば農家は緑の葉で包まれてしまうだろう。 小川が流れ込むタメガ川は水量が豊であった。 その川岸を上流に向かって散策した。大きな木の並木道は、木陰が涼しい。 緑と水が豊かなアマランテ。ポルトガルで初めて味わった自然美だった。 流れがゆるやかな水面を足踏みボートが幾つも浮かんでいる。 『ポー、乗ってみたいよ』と相棒。『こげるよね、自転車と同じだよ』 30分5ユーロ(700円)と聞き、相棒は一瞬、迷った。 母親が息子に、緑のパラソルがついたボートに乗せろと指示した。 今日は日曜日。一家の稼ぎ時だった。 上流にあの眼鏡橋が見えた。『さっ、がんがん、あそこまで行こう!』と、 初めは共にこいでいた相棒が急に写真家に変身した。4本の足が2本になった。 こぎ手はひとり。自転車のようには、進まなかった。 やっと、眼鏡橋の下を通過。高さは10mはあった。 橋の上から手を振る女の子。こぐ足はガクガクになっていたが手を振って、 笑顔で応えた。  白い綿毛が風に乗って舞ってきた。その綿毛が水面に落ち、流れ揺れていた。 川面に白い花園が出来た。相棒のシャッター音は、軽やかであった。 『あの綿毛はオリーブのかな』と相棒。定かではない。 ポーの両足は限界だった。踏むのをやめれば下流に流される。必死。やっと 川の流れとこぐ速さを勘でとらえ、上流から流し込んで船着場に着いた。 ぴったし、30分だった。追加料金を取られる客も多いに違いない。 『やったね。ご苦労様!』温かいお言葉をいただいたが、しばらく歩けな かった。膝がカタカタ、笑っていたのだった。
 残り物で夕食をすませた。夕方6時にまた宿を出た。 6時だというのに、太陽は時計の針が2時の高さにあった。タメガ川からの 川風が昼間より涼しく感じられた。サン・ゴンサーロ橋の上から下流の西の空 を眺めていた。『夕焼けは、何時頃になるのかなあ、太陽はあんな所だし』と 相棒のため息。橋の上で1時間を過ごしたが夕焼けの気配はなかった。 レプブリカ広場に面したレストランがライトで浮かび上がってきた。

「けいの豆日記ノート」
 夕焼けは、日本でもそうだが、めったに見られない。 真っ赤な夕焼けを見てみたいものだが、なかなか出会わない。 『ここで、夕焼けがでたら、きっとすばらしい景色になるだろうな。』 と思うところはたくさんあるが、たまたま行った日に出ることはまずない。 同じ場所で数日泊まり、夕刻に同じ場所にいることができたら、1度くらいは会えるかもしれない。 そこに住まないとだめかなあ。
 ここ、アマランテの町は、思ったよりライトアップしていなかった。 夜景を撮るには、暗いような気がしたが、試しに撮ってみる。 メガネ橋の向かいにある新しい橋のランカンを台にしてみた。 いつも三脚を持っていかないので暗いときは、なにか台になるものを見つける。 落ちると困るので手でしっかりと動かないように持つ。 手で持っているかぎりブレるので何枚も撮らなければならない。 『だったら、三脚持っていけばいいのに。』といわれそうだけどね。 夜景は、あんまり撮らないから、重いものは、パスなんですよ。

 翌日4月26日(月)のアマランテは、霧の朝であった。 テラスの扉を開けると冷たい川風と一緒に霧が部屋に流れ込んできた。 タメダ川に発生した真っ白い霧が朝日に照らされ、神秘的に見えた。 8時のモーニングはタメガ川が見える食堂で、赤いセーターがはち切れるほ ど太目のおばちゃんが迎えてくれた。焼きたてのパンに暖かいミルクコーヒー としぼりたてのオレンジジュースをテーブルに運んでくれた。大きな体の上に 黒髪を後で束ね、黒目がすずしく笑顔の可愛い顔があった。『Bom Dia!』の声 は少女のよう。ポーも言った。『おはよう!おばちゃん!』 相棒はサラリと。 『Muito obrigada!』と言って、折り鶴を差し出した。私に!とおばちゃんは 言い、左のほっぺ右のほっぺにキスをした。『Grou!』(鶴)と呟き、またキス。 相棒はおばちゃんのその仕草に感動。相棒の手からさらに1羽が飛んでいった。 9時にチェックアウト。 オーナーのニコニコ微笑むおばさんの手の中に、折り鶴が1羽舞い降りていた。

「けいの豆日記ノート」
 せっかく、景色のよいベランダのある部屋に泊まったのに、ベランダでゆっくりする 時間はなかった。 昼の明るいときは、外で撮影だし、夜は暗くて外が見えないし。 それに朝は、ギリギリまで寝ているし。 景色のよい部屋は必要なかったなあ。 安い部屋にかえてもらうべきだったかな。 あんまり、にこやかに自慢の部屋を案内してくれたので、断りきれなかったんだよなあ。 なかなかの商売上手だな。

 快晴であった。 川沿いに茂る大木は、オークだった。オークは樫・楢・柏の木で、造船や家 具材として昔からここでは貴重な木材として使われていたと言う。 昨夜、トリズモを案内してくれたご主人にメモ帳を持参してフロントで聞いた。 『タメガ川のarvore nome?(樹木名前?)』と辞書片手に。 メモ帳に、carvaiho と書いてくれた。辞書を引く。オークとある。 トリズモで貰った資料の何処にオークのことが書いてあるか教えてもらう。 その箇所を一語一語、辞書で調べる。 初めて中学で英語の教科書に接したあの時の心境だった。 そのオークの大木の川岸を散策。気持ちのよい散歩道だ。 呼吸する。空気に香りがした。もう一度、腹いっぱい吸い込みたくなる。 写真家のシャッター音が心地いい。至福だった。川面に大木が映って揺れていた。 眼鏡橋を渡るとバスターミナル。10時40分発のバスに乗ってポルトに向かった。 ぶどう狩りのシーズンにまたアマランテには来てみたかった。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2007年1月掲載

ラメーゴ ・・・ポルトガル写真集・ラメーゴはこちらからどうぞ

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