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☆アマランテの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルトから、東へバスで1時間ほどの場所にある。
紀元前4世紀にはローマ人が移住しており、統一者の名前アマラントがこの町の起源である。
縁結びの神ゴンサーロ聖人が祀られている教会があることでも知られている。
アマランテのタメガ川にかかる橋の風景は美しいことで有名である。
「ポー君の旅日記」 ☆ 水の都・アマランテ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
今回のポルトの定宿はぺニンスラール。
鉄道の要、サン・ベント駅から徒歩3分の距離だった。
2004年4月25日(日)朝7時半のモーニングタイム。
いつも無愛想なおばちゃんが広い食堂で、一人ぽつねんと立っていた。
『Bom dia!』と朝の挨拶の声をかけたときだけ口元に笑みらしい皺(しわ)を作る。
笑ったに違いないと思うがよく観察しないと分らない。
何時もポーと相棒の写真家けいちゃんはモーニングタイムの一番客だった。
だから他の客はいない。おばちゃんと目をあわすのが楽しみだった。
いかにおばちゃんの顔にいっぱい皺を作らせられるのか、それが楽しみだったがこの朝も失敗に終った。
今日も旅行バックをフロント脇の倉庫に預け、10時発のバスまでの1時間をポルトの散策に当てた。 「けいの豆日記ノート」 10時発のバスに乗ってアマランテに向かう。
一人4・3ユーロ(559円)。ポルトから東に1時間の町だった。
《こんな近くに、こんな素敵な町があるとは思わなかった》
まず、トリズモを探して地図と資料を貰うことが先決だった。
バスターミナルを出たら狭い石畳の道路の両側に人々が立っている。
何かが来るのを待っているようだった。ポーと相棒も待ってみた。
ゼッケンナンバーをつけたマラソンランナーが走ってきた。
ワ〜オ!と歓声が起こった。次々にランナーが来るたびに歓声だ。
犬もランナーに向かって吠えた。その犬は真剣な顔で応援していると思えた。
年に一度の町内マラソン大会だったかも知れない。 「けいの豆日記ノート」 『ドナ・マルガリッタ!』
今夜泊まる宿だった。目の前の果物屋のおばさんに聞くと、ニコニコ笑って、
指差した。50mほどさきに真っ白い二階建てのドナ・マルガリッタがあった。
ホテルと言うより小奇麗な民宿という感じだ。小さなフロントで、笑顔の
可愛いおばさんが迎えてくれた。『本当に来てくれたのね!』(たぶん)と、
送ったFAXを摘みひらひら見せて喜んでくれた。
予約して来ない客がいるのかも知れない。
日本から約束どおりやってきたのが、嬉しかったに違いない。
部屋に案内してくれた。天井の高い白で統一された部屋は部屋のテラスから
差し込む日差しで清潔感いっぱいだった。そして、テラスからの風景がいい。
ぶどう畑の先20mほどにさっき見た川が流れ、川岸には大きな木が並び、
その上空に紺碧の空が広がっていた。一服の絵であった。川風が優しく吹いてきた。
テラスに出て判った。川のほうから見れば、この建物は3階建てだった。
3階建てのペンサオン4星の宿であった。50ユーロ(7000円)朝食附き。
相棒が言った。『まっ、いいか!テラスからの景観は10ユーロはするよ!』
それで決まりだ。 「けいの豆日記ノート」 トリズモの事務所の椅子に座って地図をひろげ、辞書を引いて調べた。 川はタメガ川。眼鏡橋はサン・ゴンサーロ橋。教会はサン・ゴンサーロ教会。 大きな建物はアマデオ・デ・ソウザ・カルドソ美術館。広場はレプブリカ広場。 小さな町だった。 アマランテは、紀元前4世紀にはローマ人が住んでいたということも分った。 もうひとつ分ったことがあった。 毎年6月の最初の土曜日にはサン・ゴンサーロ祭が行われ、良縁を求めて 沢山の独身女性がポルトガル各地から集まるという。 いい話ではないか!昔は教会に祭られたゴンサーロ聖人の秘部に結びつけ られた紐(ひも)を引っ張って結婚相手との出会いを祈ったそうだ。 そして、出店屋台では男性の性器の形をしたお菓子が売られるという。 そんな祭りに遭遇したかった。知らなかった。二ヶ月あまり早く来すぎた。 相棒の写真家は、隣で唸った。そんな菓子を食べる女の子の写真を撮りた かったに違いない。 「けいの豆日記ノート」 その教会、サン・ゴンサーロ教会に入ってみた。 なかなかの教会で、天井のドームも高く祭壇も素晴らしい。 今までいろいろな教会の祭壇を見てきたが細工に手抜きが無い繊細な美しさ があった。資料には、ゴシック、ルネッサンス、バロックの様式を施した 1540年に建造が始まった教会だとうたっていた。 ゴンサーロ聖人は別室に安置されているため、見ることができなかった。 (紐を引っ張られる、そのお顔が見たかった) 教会の脇にあった狭い石段を登ると、住宅地だった。 丘の上は小奇麗な住まいが立ち並んでいる。みな一戸建ての住んでみたく なるようなたたずまいだ。その住宅地に一軒だけ食堂があった。2時を過ぎた ところで、腹もペコペコだったので吸い込まれるように入った。 4人の家族連れが一つのテーブルを囲んで食事をしていた。客だと思い、 ポーが奥に向かって叫ぶ。 『何か食べさせてくださーい!(日本語)』 すると、食事中の家族の中の若い女性がメニューを持って立ち上がり寄って 来た。えっ!だった。 『すみません!お食事中に!(日本語)』 ポーは、深く頭を下げた。 『Vim do japao!』日本から来たと相棒が告げ、食べる動作をした。 日本から来たのかと16歳ぐらいの女性は少し驚きテーブルをすすめてくれた。 『オブリガーダ!』と相棒。微笑んだ彼女が差し出すメニューの一品を指 し『これ一つとグラスワインにファンタ』と相棒が得意の自家製手話で、注文した。 これって言ったけれど、はたして何を頼んだのか不安だった。 彼女が席に戻ると父親が席を立ち厨房に消えた。残った家族はこちらを見て 微笑んだ。ここで相棒のパホーマンス。 《折り鶴》を4羽、家族のテーブルに運んだ。母も娘も息子もびっくり。 でも、喜んでくれた。 相棒が演じる鶴の飛ぶアクションには声を上げて笑ってくれた。やるぜ相棒。 写真を撮っている時とは別人であった。 相棒は旅を楽しんでいた。 ポーは相棒けいちゃんに言った。惚れたぜと。返事は、馬〜鹿だった。 食事が運ばれてきた。 サラダと炒めたライス付きの羊肉煮込みだった。赤ワインが美味かった。 自家製なのかも知れない。そういうワインが美味しいと判ってきた。 8・25ユーロ(1080円)の昼食に満足だった。 「けいの豆日記ノート」 丘の上の住宅地からタメガ川に向かって降りていくと、ぶどう棚に囲まれた
農家が目立つ。ぶどうの新芽が緑色で美しい。そのぶどう畑の中を巾1mほどの
流れが速く、水量いっぱいの小川が音を立てて幾重にも走る。
後、1ヶ月もすれば農家は緑の葉で包まれてしまうだろう。
小川が流れ込むタメガ川は水量が豊であった。
その川岸を上流に向かって散策した。大きな木の並木道は、木陰が涼しい。
緑と水が豊かなアマランテ。ポルトガルで初めて味わった自然美だった。
流れがゆるやかな水面を足踏みボートが幾つも浮かんでいる。
『ポー、乗ってみたいよ』と相棒。『こげるよね、自転車と同じだよ』
30分5ユーロ(700円)と聞き、相棒は一瞬、迷った。
母親が息子に、緑のパラソルがついたボートに乗せろと指示した。
今日は日曜日。一家の稼ぎ時だった。
上流にあの眼鏡橋が見えた。『さっ、がんがん、あそこまで行こう!』と、
初めは共にこいでいた相棒が急に写真家に変身した。4本の足が2本になった。
こぎ手はひとり。自転車のようには、進まなかった。
やっと、眼鏡橋の下を通過。高さは10mはあった。
橋の上から手を振る女の子。こぐ足はガクガクになっていたが手を振って、
笑顔で応えた。
白い綿毛が風に乗って舞ってきた。その綿毛が水面に落ち、流れ揺れていた。
川面に白い花園が出来た。相棒のシャッター音は、軽やかであった。
『あの綿毛はオリーブのかな』と相棒。定かではない。
ポーの両足は限界だった。踏むのをやめれば下流に流される。必死。やっと
川の流れとこぐ速さを勘でとらえ、上流から流し込んで船着場に着いた。
ぴったし、30分だった。追加料金を取られる客も多いに違いない。
『やったね。ご苦労様!』温かいお言葉をいただいたが、しばらく歩けな
かった。膝がカタカタ、笑っていたのだった。 「けいの豆日記ノート」 翌日4月26日(月)のアマランテは、霧の朝であった。 テラスの扉を開けると冷たい川風と一緒に霧が部屋に流れ込んできた。 タメダ川に発生した真っ白い霧が朝日に照らされ、神秘的に見えた。 8時のモーニングはタメガ川が見える食堂で、赤いセーターがはち切れるほ ど太目のおばちゃんが迎えてくれた。焼きたてのパンに暖かいミルクコーヒー としぼりたてのオレンジジュースをテーブルに運んでくれた。大きな体の上に 黒髪を後で束ね、黒目がすずしく笑顔の可愛い顔があった。『Bom Dia!』の声 は少女のよう。ポーも言った。『おはよう!おばちゃん!』 相棒はサラリと。 『Muito obrigada!』と言って、折り鶴を差し出した。私に!とおばちゃんは 言い、左のほっぺ右のほっぺにキスをした。『Grou!』(鶴)と呟き、またキス。 相棒はおばちゃんのその仕草に感動。相棒の手からさらに1羽が飛んでいった。 9時にチェックアウト。 オーナーのニコニコ微笑むおばさんの手の中に、折り鶴が1羽舞い降りていた。 「けいの豆日記ノート」 快晴であった。 川沿いに茂る大木は、オークだった。オークは樫・楢・柏の木で、造船や家 具材として昔からここでは貴重な木材として使われていたと言う。 昨夜、トリズモを案内してくれたご主人にメモ帳を持参してフロントで聞いた。 『タメガ川のarvore nome?(樹木名前?)』と辞書片手に。 メモ帳に、carvaiho と書いてくれた。辞書を引く。オークとある。 トリズモで貰った資料の何処にオークのことが書いてあるか教えてもらう。 その箇所を一語一語、辞書で調べる。 初めて中学で英語の教科書に接したあの時の心境だった。 そのオークの大木の川岸を散策。気持ちのよい散歩道だ。 呼吸する。空気に香りがした。もう一度、腹いっぱい吸い込みたくなる。 写真家のシャッター音が心地いい。至福だった。川面に大木が映って揺れていた。 眼鏡橋を渡るとバスターミナル。10時40分発のバスに乗ってポルトに向かった。 ぶどう狩りのシーズンにまたアマランテには来てみたかった。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2007年1月掲載 |
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