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ポルトガル写真集(サングラスの結婚式・ブラガンサ)
Portugal Photo Gallery --- Braganca

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ブラガンサ1
ブラガンサ城

ブラガンサ2
ブラガンサ公爵

ブラガンサ3
ブラガンサ旧市街

ブラガンサ4
天からのながめ

ブラガンサ5
最古の市庁舎

ブラガンサ6
小春日和

ブラガンサ7
ぼくの家

ブラガンサ8
カテドラル広場

ブラガンサ9
旧市街への坂道

ブラガンサ10
のどか

ブラガンサ11
サンタマリア教会

ブラガンサ12
サングラスの結婚式

ブラガンサ13
祝福の笑顔

ブラガンサ14
記念写真

ブラガンサ15
おねえちゃんの結婚式

ブラガンサ16
ぼくの宝物

ブラガンサ17
着せ替え人形

ブラガンサ18
ニャンだよ〜

ブラガンサ19
町のキヨスク

ブラガンサ20
新興住宅地

ブラガンサ21
廃線のベンチ

☆ブラガンサの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルトから、北東へ約200km。バスでヴィア・レアル乗り換えで約4時間。
ノグエリア山脈が連なる標高660mの地点にブラガンサの町はある。
1640年にはジョアン4世がスペインからの独立を達成、ブラガンサ王朝を開いた。
城壁に囲まれた旧市街を中心に往時の姿をそのままにとどめ、
歴史の片隅に取り残されたかのようにひっそりとただずんでいる。

「ポー君の旅日記」 ☆ サングラスの結婚式・ブラガンサ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 《ポルトガルの第二都市〔ポルト〕の宿はペニンスラール。豪華さには欠けるが、 ポルトの交通機関の中心サン・ベント駅まで歩いて3分とかからない、旅をするには便利なホテルだった》  

 2004年4月17日(土)。 この日から3泊の旅に出るので、ホテルに大きな旅行バックをフロント奥の物置に預けた。 地域ごとに決まったホテルを基点にして活動すると、便利である。 また、戻ってくることがわかっているので、荷物を預かってもらえるからだ。 どこにいくのにもスーツケースをガラガラじゃ、撮影もできない。 数泊の荷物は、リュックだけですむからだ。 身軽さが1番である。

 その日も朝から寒かった。 町のシンボルである18世紀に建てられたクレリゴス教会の76mの塔を背に見上げ、今朝もまた市民の台所〔ボリャオン市場〕に向かった。 石畳の坂道で白い息を吐いて駅舎に急ぐ人々とすれ違う。皮ジャン姿が多かった。 『ポルトの人は皮ジャンが似合うね』と相棒の写真家がポツリ言った。 今朝の相棒はモコモコ姿ではなかった。 寒さ対策に、どんな細工をしてきたのか昨日の朝とは違って、すっきり決まっていた。 《私の売り場はここよ》のおばあさんに相棒は会いたかった。 市場構内は相変わらず人であふれていたがあの角には、小さな丸椅子がポツリとそのままだった。 相棒は、淋しげに視線を投げた。 隣の花屋のおじさんに2Lサイズ写真をあずけ、おばあさんに渡して欲しいと交渉したが通じなかった。 『まっ、いいか、また来よう!』と相棒のけいちゃん。 石畳の坂道を下った。〔ブラガンサ〕に行くバスターミナルは昨日、調べておいた。 行き先によってバスターミナルが違うからだ。 発車時刻より早かったので大きな入り口のシャッターは閉まっていた。

 「けいの豆日記ノート」
 行き先によってバスターミナルが違うから要注意。 バスターミナルといっても、バス会社の倉庫のような感じだ。 また、曜日によって発車本数と発車時刻が違う。 間違えないようにするのは、前日の夕方にバスターミナルに行き、明日の時間を聞くといい。 今日は土曜日、ブラガンサ行きは3便しかなかった。 この日は10時発。バス代は一人8・70ユーロ(1130円)。 ブラガンサまで4時間。高速バスは2階建て。4時間乗って1130円は安い。 これが、ポルトガルのバス料金だ。快適なバスの旅が始まったよ。

 《ポルトから北東に200キロ。ブラガンサはノグエイラ山脈の標高660mにある中世の城壁に囲まれた町だという》

 ガイド本には、歴史の片隅に取り残された町、とあった。だから、行ってみたかった。 バスの車窓は、大高原地帯。
オリーブ畑が延々と連なって過ぎ去っていくだけだった。 ヴィア・レアルで乗り換えとガイド本にはあったが、この便は、直通のようで、助かった。 相棒は、車窓を眺めながらバナナで、昼食中。 旅のスケジュールはすべて相棒の綿密?な勘で決めた。 下敷きはガイド本の解説を参考にして。 知らない土地に行くにはガイド本は旅の羅針盤だった。 そして、窮地になった時は「まっ、いいか!」の気持ちの切り替えが大切だ。 未知の旅にはプラス思考が必要だった。

 「けいの豆日記ノート」
 ポルトガルには、山がないと思っていた。 今までは、山というより、高原地帯が多かったからだ。 乗り換えるはずのヴィア・レアルまでは、高原であったが、 このポルトガル北東のブラガンサに来てみて考えを変えなければいけなかった。 バスから見える風景は、今までの草原や、高原と違って、山であった。 狭い山道をグルグルと登っていく。 下を見ると、今、どれだけ高いところにいるのかわかる。 ポルトガルにもこんなに高い山脈があったんですね。 日本の山と違うところは、木が少ないということかな。

 ブラガンサのバスターミナルは元鉄道の終着駅跡に新設されていた。 残した線路にトロッコ形のベンチが置かれ、洒落た広場になっていた。 ここから町の中心地に向かって石畳がなだらかに下る。 名古屋からFAXで予約しておいたホテルをガイド本に載っている地図で相棒は確認した。 午後2時だった。 カテドラル広場で石畳の道は二股に分かれていた。 小さなカフェやレストランなどがある左の街路を選んだ。 午後の日差しを浴びたキヨスクの前で犬が伸びきって昼寝中だった。 車の走りもないのどかな町だ。おばあさんが立ち止まって見つめてきた。 『ボア タルデ!(こんにちは)』相棒が声をかける。戸惑った顔が笑顔にくずれた。 「デ オンデ ヴェイオ?(どこからきたの?)」と、おばば。 『ド ジャパオン』と、相棒。 「ジャポネーザ!(日本人!)」と、小さく叫び、嬉しげだ。 おばあさんは日本人を初めて見たらしい。
機会があれば手持ちの少ないポルトガル語を駆使して、それで撮影のきっかけを相棒は作っていた。 勿論、おばあさんの笑顔をいただいた。お礼に手作りの折り鶴を。 そんな出会いを大切に、旅を続けていた。 坂の上でおばあさんが手を振っているのがまだ、見えた。

 坂を下って左折。[ホテル・サンロケ]はビルの7・8階にあった。 部屋の窓から見わたせる町の俯瞰が絶品だ。 眼下に広がる民家のオレンジ屋根の先に城壁に囲まれた旧市外がこじんまりと見え、 その先にぶどう畑の農地が青空に向かって延々とつながっていた。 風が強くなったようだ。 眼下で、木々の葉が水面の波紋のように激しく揺れだした。 急に吹き出した風に乗って城壁に向かう。坂道の石畳は歩きにくいものだ。 都会でも田舎でも、車道も歩道も石畳のポルトガル。 【石畳をポルトガル語で、「カルサーダス」という。 この石畳の文化を持ち込んだのはローマ人。使っている石はこの国で切り出される石灰岩が多い。 石灰岩は雨水を吸収し、その水を濾過し、貴重な井戸水となって、今でも農業水につかわれているという】 15分ほど石畳の坂道を歩いていくと城壁に入る門があり、その前の小さな広場に、ブラガンサ公爵の銅像が建っていた。

 「けいの豆日記ノート」
 4〜5歳の子供達が小さな広場で着せ替え人形遊びをしていた。 その横の石のベンチで4人のおばさんが陽だまりの中で話しこんでいる。 猫を抱くおばさんがシャッターを切る私にウインクした。 『オブリガーダ!』と手を振ったら「オブリガーダ!」と応えてくれた。 ありがとう!が撮影許可了解の証だった。 撮影の後で4人に折り鶴をもらっていただいた。ここでも素敵な笑顔をくれた。 ポルトガルの人は笑顔が美しいと思うよ。 観光客がここには来ないのか、それとも日本人が珍しかったのか、ここに一緒に座らないかと石のベンチの指定席をずらしてくれた。 それだけで涙がでそうになった。 その空けてくれた空間にお尻をねじ込んだら、石が暖かったよ。 長い間、座り続けていたんだろうね。

 城門を入った。 静寂。 人の姿は、なかった。 『廃墟の旧市街地?』と、相棒。 風で帽子を飛ばされそうになって、右手で押さえた。 左手には、一眼カメラが握られていた。

 《この旧市街地がブラガンサ公爵の領地として認められたのは15世紀。 そして、1640年、ジョアン4世がスペインからの独立をなしえてブラガンサ王朝を開く。 ブラガンサは城壁に囲まれた現在の旧市街を中心に当時の姿を留めているという。 歴史の片隅に取り残されたかのようにひっそりとたたずんでいる。》

 確かに、歴史の片隅に取り残された町、旧市街地「ブラガンサ」だった。 風が鳴った。 目の前に、1187年建造の城跡があった。 33mの四角い塔は15世紀のものだという。   旧市街地をさ迷う相棒は、中世の町に迷い込んだ子羊か。 『何もない淋しいところだね〜。でも、このまま帰るのは悔しいよ、ポー!』 と相棒は風に飛ばされそうになった帽子を再び押さえ、サンタ・マリア教会に入った。 教会の中は外観より思った以上に広かった。 祭壇の前に60人以上の人影があった。 近寄ったら、白いドレスが薄暗い中に浮かんで見えてきた。 結婚式の最中だった。また、遭遇だ。2年前、ポルトのカテドラルで体験してから二回目だ。 教会の中では判らなかったが外に出てきた参列者は皆、サングラスをかけていた。 びっくり、しゃっくりだ。記念撮影が始まった。 主役のふたりを囲んだ型通りの撮影の後、花婿と参列者の女性たち、花嫁とサングラス軍団の男性たちの記念撮影があった。 こんな記念撮影の光景は初めてだ。 『シャッターを切りながら、ちょっぴり感動したよ。 でも、何をしている人たちの結婚式だろうね』と相棒が首をかしげた。

 「けいの豆日記ノート」
 ラッキー、結婚式だ。 待っていても出会わないのに、今日はなんてついているのだろう。 ポルトガルの大安の日だったのかな。 たくさんの人に祝福を受けている花嫁さん、とってもすてきだったよ。 始めから、終わりまで、人込みにまぎれて専属カメラマンのように写真を撮らせてもらったよ。 なんとずうずうしい。でもお祝いの日だからね。 ポーに、花嫁さんとのツーショットを撮ってもらったよ! 花婿が変な日本人の飛び入りを笑顔で歓迎してくれたのが、嬉しかった! 花婿、役者みたいにいい男前だったよ。

 飛び入りの外国人である女性カメラマンにみんな優しかった。 日本から来たの? なぜ、ポルトやリスボンに行かないの? こんな田舎に、どうして?  20代の黒い瞳が美しい女性がサングラスをはずし、相棒の腕を取って話しかけてくれた。 相棒の笑顔が弾ける。 きっと話は、ほとんどわからないだろうが、嬉しそうだ。 腕を取って話をしてくれたのが心にしみたに違いない。 だから、旅はやめられない。

 城壁を出た丘の中腹にポザーダ(国営ホテル)がある。 そこから城壁の旧市街を見ると美しいと、あの黒い瞳の彼女が言ったと相棒が言うので、城門を出て急な坂道を25分かけて行ってみた。 その途中で巾10mほどの川を渡る。
透明で豊富に流れる水面が風で激しく踊っていた。 黒い服を風になびかせ話し込んでいた女性たちが会話を打ち切り、視線を向けた。 『セニョーラ!ボア タルデ!』相棒のご挨拶が風に舞った。

 「けいの豆日記ノート」
 ポザーダには車が一台も止まっていなかった。 そういえば、この地に着いてから観光客らしき人に出会っていない。 ポザーダに入った。少し、緊張する。 ぴたっ、と決まったフロントマンにここから旧市街地を撮影したい、日本から来た、と告げた。 カフェに案内された。撮影だけとはいかない雰囲気なので仕方なしに、ビールとガラオン(ミルクコーヒー)を頼む。 座ると身が沈むような革張りソファだった。このまま座り続けると眠ってしまいそう。 で、テラスに出て旧市街地を撮る。 でも、「見る目と撮る眼」は違う。 「いいよ、あそこから見ると」と教えてもらって行くと、必ずがっかりする。 画にならず。《まっ、いいか》 飲み物に3・80ユーロ(494円)もかかってしまったよ。 フカフカのソファ代込みと思って、トイレを借りてから町に戻った。

 高級ホテルにしては安いと思う。日本なら、軽く2000円だ。 ポルトガルは物価が安い。飛行運賃が安ければ、もっと来られるのにと思う。 だから、来た時は、3週間は滞在する。それでも、8日間ツアー料金より安くすむ。 宿は安く、夕食はスーパー調達、それに散策は一日二万歩、移動はバスや列車、土産は買わない、という旅だから・・・。 新市街地は中層住宅が建ち並んでいた。スーパーで夕食の調達。 トマト大きめ2個0・26 レタス1個0・48(これらはすべて計り売り) 水0・17 シーチキン1缶0・86 赤ワイン1瓶2・15 カップケーキ1個1・99 ビニール袋0・04 計5・95ユーロ(774円)。 けいちゃん流に言うと、買い物袋を持って来ればよかったよ〜!ビニール袋代、5円取られた。

 翌朝、4月18日(日)は雨模様で風強し。 モーニングをゆっくり食べた。 フイルムの整理やあした移動する町ラメーゴの資料を読んで、天気待ち。 テレビを見ていた相棒が、眠りに落ちた。 七階の窓から外を見渡す。雨も風も治まっていた。 八重桜の花びらが石畳に一面張り付いていた。何処かに満開の八重桜の木があったのか。 10m四方には、見当たらない。相棒は、石畳に舞い降りて咲く八重桜を撮っていた。 再び、城壁の旧市街地に向かった。 少し、寒い。
午前10時。教会を探す。日曜日だったから。 道すがら、小さな教会があった。雨上がりの空を見上げ、中に入って、みた。 暗い。目が暗闇に慣れるまで数十秒。ローソクの明かりが浮かぶ。 15人ほどの人が祭壇の下にかたまり、呟く(つぶやく)ように賛美歌を歌っていた。 何故か近寄りがたかった。離れた入り口近くの席で10分ほど座り、歌声を聞いていた。 足元から寒さが伝わってくる。静かに、外に出た。中世の映像画面を見ているようだった。 息をひとつ大きく吐いて、相棒が言った。『撮れなかったけれど、眼に焼きついたよ。』

 「けいの豆日記ノート」
 天気ばかりは、しかたがない。 雨だとどうも気分が乗らなくて写真を撮る気にならない。 それにカメラが濡れてはたいへんだ。 機械は、水に弱いのもしかたないことなのかな。 で、博物館に行くことにした。 かつての司教館が博物館になっているという、アパーデ・デ・バサル博物館だ。 客は、だれもいない。 係りの女性が、一部屋ずつ、電気をつけながら、案内してくれた。 見に来る人いるのだろうか。 経営はなりたっているのかなとよけいな心配をしてしまった。

 城壁の中の旧市街地。人影、なし。 昨日、結婚式が行われていたサンタ・マリア教会の隣に12世紀に建てられたという市庁舎がある。 記念撮影はこの建物を背景にしていた。5角形の建物はロマネスク様式の石造り。 ポルトガル最古の市庁舎だという。中に入ってみたが、がらんどう。ひんやりした狭い空間だった。 城壁の中には30軒ほどの平屋の民家が長屋のように連なり、それが5筋ほどあった。 廃墟の家もあり、「売り家」と入り口に張り紙された家もあった。
時の流れがひしひしと押し寄せている気配が感じられた。 それがちょっと、淋しく迫った。 暖簾が掛かった入り口から5歳くらいの少年が飛び出して来た。 相棒は、撮った。少年に折り鶴をあげると家の中に飛び込んだ。 母親が少年と出てきた。そして、頭を下げて微笑んだ。美しい、笑顔だった。 相棒が言った。『オブリガーダ!』と。 少年は、はにかんで折り鶴をかざした。黒い瞳が輝いて見えた。 新市街地に引っ越したという家の前で、猫が丸くなって眠っていた。

                              *「地球の歩き方」参照*

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